離婚経験者の声・体験談を一挙公開!母子家庭の過去。差別的扱い、世間の目がきつい

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現在の母子家庭への待遇と違い、過去にはもっときつい世間の目があったようです。リアルな過去の体験談を見ていきましょう。
 
 
母子家庭の過去。差別的扱い、世間の目がきつい
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私自身の経験と友人女性の経験を書きます。
 
私が小学一年のとき父が病死して、それ以降母子家庭で育ちました。今から40年前のことです。
当時、埼玉県在住で地域性もあったのでしょうが、現在と違いけして社会的に「母子家庭」が守られている時代ではありませんでした。
 
その証拠に、私たち兄弟は近所で「テテナシ」「カタオヤ」と呼ばれていましたし、物が無くなると真っ先に疑われました。
恐らく、実母が今でいうところの発達障害だった為、近所づきあいが出来ず、それも一因となって地域で見下されていたのかもしれません。
 
ですが、父が病死だった為、離婚してカタオヤになった母子家庭よりは世間の目も幾分マシだったと記憶しています。今と違い、夫婦が生別、死別によって世間の態度はかなり違いました。
「離縁した女」は「夫と死別した妻」より格下と扱われ、子供たちも同様でした。
 
また、母が発達障害のため育児放棄状態でしたが、昔の児童福祉は今よりずっと立ち遅れていたので、そういった問題家庭であっても行政は把握が出来ず、なんら対策はありませんでした。
特に僻地ではこちらで請求してようやく役所が重い腰を上げてくれるかどうかという状況でした。
 
当時も母子家庭に対して多少の援助(手当)が行政から出たはずですが、私の記憶では地区の民生委員が一度来て「給食費が免除になるがどうする?」と母に聞き、「ワカンネー」と答えたことで、それ以上の行政介入はありませんでした。
 
その後、担任の先生が経済状態を心配をして調べてくれたのですが、家が持家だからとか祖母が「外聞が悪い」と断ったりと、子供の力ではどうにもできないような事情で一切の福祉からの援助は無く、成人しました。
 
時は流れて現在の母子家庭についてです。
 
私の友人の30代のシングルマザーは2人のお子さんを抱えて神奈川県でパートタイムで働いています。
出会いは給付金が出る職業訓練でした。
 
最初、気がついたのは母子家庭にしてはマンションで比較的安定した暮らしをしていることです。
すぐに働かなくてもいいらしくて、それが不思議でした。「お金が無い!」が口癖の割には浪費家で不思議に思うことが多かったのですが。
 
そのうち、彼女も私を信頼してくれるようになるといろいろ話してくれるようになりました。
普段、彼女はバツイチのシングルマザーのママ友とだけ付き合うそうで(しかもネットで知り合った少し離れた地域のママ友に限定)それ以外の人種は信用しないとのことです。(なので、私のことも最初警戒してたそうです)なぜそこまでと聞いたのですが、要するに他人(特に近所のシングルマザーではない母親)からの嫉妬が怖いというのです。
一度、子供が小さい頃酷い目に遭ったそうです。
 
その後、いろんな話ができるようになったのですが、家に招いてくれたり、別れた夫からの仕送り、子供手当を含む収入があるのに「うちは貧乏な母子家庭だから」の一点張りで、心を開いてくれませんでした。
 
時代こそ違いますが、自分自身が母子家庭出身で同じような差別や誤解、嫉妬に遭ってきたので、もっと親しくなりたいと思うのですが、彼女が注意深く人間関係を構築してるのが伝わり、とても残念に思います。
 
ですが、現在の児童福祉は昔と違い、求めれば応えてくれる時代になったことは良かったと感じます。
そして、彼女のお子さんが二人とも成人し、いつの日にか「あの頃は、本当のことが言えなくてつらかった」とでも打ち明けてくれたらいいなと思っています。
 
40代 るり子
※体験談なので個人の感情など、人それぞれの考え方などたくさんあるため、体験談の内容は二転三転している部分があるかもしれません。
あくまでも、このカテゴリー内の内容は個人個人の意見や見解、体験談などを記載させて頂いているのであらかじめご了承下さい。いただいた意見を原文そのまま掲載しております。
母子家庭を体験した方の「実体験」などを聞く機会はなかなか無いと思いますので「母子家庭」と言うキーワードが気になっている方は是非ご覧下さい。

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